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Categoryエネルギーワークのこと
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師を見つけるのは中々に難しい。

だから、ある程度、浄化を行うとか、勉強を進めるとか、
その程度までは一人で行うべきだと私は思っている。
今は世の中にごまんとすばらしい著書がありますしね。
(覚醒だけは、バランスを崩して起こすと狂気に目覚める事もあるので、適切に行うべきだと思います。
その能力だけに魅了され、心身の準備無く無理やり起こすものではありません。。。)

最近、とある師から破門をされて、苦しくて、戻りたくて、
それで、私のところに来てくれて、エッセンスで、その執着を取り除きたいのだと
言って下さった方がありました。
エッセンスを使う間も、戻りたくて師にプレゼントを贈ったものの、返却されたとの事。

私にはどうしたらよいかと問うので、
どうやっても戻れない関係なら戻る必要はない、
状況に任せるといいと会った日最初から
そう申し上げていたのですが、ぐるぐると迷っている。
正直迷う事を楽しんでいるように私には思う所もある。
師を見つけるのはたやすいものではないからこその事ではあるので、
気持ちは本当に理解できる。

しかしこのような迷妄や苦しみに走る人を作ってしまう師は、
一体何を教えているのだろう。何を学んだのだろう。
その師の先に、何を期待して見ていたのか。
特殊能力や、何か人間離れしたすごさだろうか。
そんなものは、付随的なもので、誰でも望めば、
勉強のさなかどこかで自ずと出来るものである。
本当に付随的なものである。
私たちは忘れているだけなのだから、思い出しさえすればいい。


そういう方であっても、彼らなりに役割を持っているのだし、
何より生きているのだから、それはそれで完全なる祝福である。
似非か真実かは誰にも分からない。
ただ、迷妄に走る人を沢山作り出す製造機を、私は単純に好まないに過ぎない。
それに集団になりたい人もあれば、私のように個々人が好きな人もある。

多分、相談者は、単純にただ「真実」を求めただけに過ぎないと思う。
だから、その作り出されている場の波にいられなくなり、破門になった。
出たいのに出られなくて苦しむ人も沢山ある。
やはり、天の祝福であると私は思う。
だからこそ、あえて戻る必要も無いと思うのだけれど。
こればかりは、愛情と言う名の執着、人間のサガというものだろうか。
この状況自身も全て、相談者の素晴らしい勉強の一つなのだろう。


ある覚者が言った言葉。

「何が正しい師の基準か?
基準は無い。あなたの完全に成熟したエゴが、
直観によって正しい師を見分けることができるのみである。」


私もそう思う。


自分のエゴに応じている。
そして、そのエゴに気付いたとき、
卒業のベルが急に鳴る事もある。
次のドアが開かれたとき、それを開くことが出来るだろうか。
ただし、そのドアがどの方向に向かって開いているかは、また別の問題である。


そして、師さえも超えて、個を超えて、
その勉強した何かの力、エネルギー、生き方、を、
よりよい善に使える事を祈りつつ。


師を選ぶ際は、自分が何を相手に期待しているのか、よく、よく、よく、よく、
本当に適切かどうか、心に問うて考えて、選ぶと良いと思う。。。。









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